食品業界最前線

もうすぐそこまで来ている!? 培養肉を選択する未来

前編では「細胞農業」の概念や考え方を紹介した。後編では、世界や日本でどこまで研究が進んでいるのか、そして今後必要なことは何かなどについてお送りする。前回に続き、特定非営利活動法人日本細胞農業協会理事の杉崎麻友さんに話を聞いた。

実現に向けて

細胞農業の研究は今現在、どの程度進んでいるのだろう。実はもう、商品化を実現させている例がいくつかある。例えば海外では、培養肉のハンバーガーや培養ミートボール、培養チキンなど。しかし、2013年に世界で初めて作られた培養肉のハンバーガーは1個3,500万円ほどもする超高級品。海外ではミンチ肉の開発が多いようだが、日本では培養ステーキ肉の共同開発を進めている大学と企業もある。

杉崎さんは、「2021年から25年のあいだに、開発中の製品をリリースすると宣言している企業や会社はたくさんあります。最初は高級レストランに卸す程度で、一般消費者向けにはもう少し先になると思いますが、ここ5年くらいで大きな変化が見られるはずです」と、培養肉市場の拡大に期待を寄せる。

コストダウンが鍵

消費者が気軽に食せるようになる課題のひとつは、価格だ。研究機器の開発もさることながら、細胞を培養するために必要な、各種栄養が入った「培養液」が非常に高価なのだ。「大きな工場で細胞の大量培養が実現できたり、あるいは安価な素材で培養液をつくる方法を見出すなどして突破できると、一気に価格が下がる可能性はあります」。

さらに、杉崎さんも参加する、細胞農業の研究開発を行う市民団体「ショウジンミートプロジェクト」では、自宅で培養肉を育てるための培養液を開発中。ここからスピンアウトしてできたベンチャー企業「インテグリカルチャー」が、培養鶏フォアグラの試作に成功している。

「この市民団体は、細胞農業や培養肉に興味のある人なら、誰でも参加できるコミュニティなんです。文系理系関係なく、高校生や主婦、社会人など肩書や年齢もさまざま。基本的にオンライン開催なので、ただ話を聞きに来ている人もいれば、培養のための機械を開発しようとしている人なども。そのなかで、もっと我々に身近なもので培養液がつくれないか議論や実験もしていて、家庭菜園さながら、自宅にある身近な道具で培養肉をつくる実証実験もすでにはじめています」。
このコミュニティのなかで、細胞培養のコストダウンにつながるアイデアが実現すると、培養肉の開発が加速化する可能性もあるという。

知ることで広がる

細胞農業を進める動きが盛んになる一方で、実験室でつくった肉を食べることに抵抗感を持つ人は一定数いるだろう。実際、細胞農業や培養肉という言葉自体、まだ一般的とは言えない。仮に言葉は聞いたことがあったとしても、詳しくは知らないだろうし、見たこともない新たな分野の食品に懐疑心を抱くのは当然だ。杉崎さんは、「実は培養肉に限らず、私たちが“知らない”状態のものを食している状況は、すでに起こっています。牛肉だって、どこでどんな風に育てられ、どういう過程を経て加工されているのか、知らないことがほとんど。培養肉も、まずは生産プロセスを知ることが大事だと考えています」。

また、細胞農業は畜産農家の存在を否定するのか、という批判も出てくる。しかし杉崎さんは、「畜産農家が消えてなくなることはありません。むしろ、共存しうるもの。例えば、農家の育てる動物から細胞を採る場合、その細胞にライセンスを設け、飼育農家に利益還元できる仕組みなどがあればいいと考えています」。実際、杉崎さんが理事を務める特定非営利活動法人 日本細胞農業協会は、国や大学、農家なども含めた研究会に参画し、細胞農業のためのガイドラインづくりを進めている。

未来の食のために、今できることとは

杉崎さんは、細胞農業の知識を広める活動を積極的に進めるために、子どもたちへの出張授業やオンラインでの実験教室などを模索中だ。「将来、培養肉を食する可能性の高い子どもたちに、まずは知ってもらいたい」と、商品が発売される前に、細胞農業への理解を深めてもらう必要性を感じている。「事実を知ったうえで、食べるか食べないかの選択ができる社会にしたい」と、多様な社会の実現を目指している。
細胞農業は、食の選択肢のひとつ。細胞農業や培養肉を知ることで、動物の命について考えたり、食べる楽しさや広がりが増えたり、今までにない価値観で明るい未来を創造する手段のひとつなのかもしれない。次代の人々に安心安全な食を残すために、今私たちができることは何なのか、そういったことを考えるきっかけにもなるだろう。

杉崎麻友

北海道大学 農学部応用生命科学科 卒業
東京大学大学院 新領域創成科学研究科 修士課程修了
コンサルティング会社勤務を経て、独立系投資会社でラボマネージャーを務める。
2019年より特定非営利活動法人 日本細胞農業協会の理事に。